2011年11月15日火曜日

北時計の再活用を 4ヵ月間の実績を市に報告

 「北の国から」放映30周年記念事業は、5ヵ月間の日程を消化して10月30日で終了したが、7月1日から「北時計」の運営に携わったボランティアグループ「あかなら」の篠田信子代表ら3人が11日、市役所を訪れ、4ヵ月間にわたり運営してきた実績やアンケート調査結果などの報告書を能登芳昭市長に提出した。この中で篠田代表は「喫茶店としての空間は外せない。施設として再活用してほしい」などとアンケート調査結果を踏まえて強く要望した。
 30年前、ドラマ「北の国から」の放映と共に全国から多くの観光客が訪れ、富良野の知名度は急速に上がった。同時期に開店した「北時計」はドラマのロケ地として、またくつろぎの場として富良野の観光に大きく貢献。富良野にとって大切な観光資源となった。しかし昨年秋、オーナーが同施設を富良野市に寄贈し、その後市の管理下に置かれ閉店となった。
 今年でドラマ「北の国から」が放映30周年を迎えたことから、記念事業を行うため実行委員会が設立された。6月1日から「北の国から広場」の開設をはじめ、「拾って来た家」の敷地内にモニュメントを建設、10月には倉本聰さんの記念講演会が開かれるなど、5ヵ月間にわたり様々な記念イベントが繰り広げられ、全国の“北の国からファン”など大勢の観光客が訪れた。
 その記念事業の一環として「北時計」の運営を篠田代表ら23人で構成する市民ボランティアグループが7月1日から、自主営業を行い、訪れる観光客に対応した。期間中の来客数は5000人を超えた。また「北時計の建物をこれから残してほしいか」など6項目にわたるアンケート調査を実施した。その結果、約1900人が回答を寄せた。
 調査結果によると、来客は8割以上が道内、道外で占めた。また、男女別では女性が6割近く。年齢別では40~60歳未満が最も多く約4割を超えた。次いで20~40歳未満が約3割近く。再訪と初めての実数では再訪者が約6割近くを占めた。
 施設の活用については「残す」が99・89%を占め、「無くてもよい」の回答者はわずか2人のみだった。
 アンケート調査に書き込まれた今後の使用方法としては①今まで通り喫茶店として②ギャラリーやミニコンサート会場として③作品の展示やコミュニティの核など文化活動の発信場所として④高齢者のサロンとして―が挙げられた。
 そのほかの意見としては「大人になったら北時計に来るのが夢でした。年に1度しか来れませんが残して下さい」(大阪)、「北の国からが心のよりどころです。孫ができたらぜひ一緒に来たい。その時まで残してほしい」(愛知県)、「北時計に来るのが富良野に来る楽しみです。自分も何ができるか奈良に帰って考えます」など北時計の存続を求める要望が圧倒的に占めた。
 篠田代表は「ボランティア一同、この4ヵ月間の経験は衝撃的であり、かつ貴重な体験でした。北時計は観光客のみのものではなく、市民にとっても大切な財産で貴重な資源は残すべきだと、さらに意を強くした。閉まっているのを見ると寂しい」と市長に伝えた。
 これに対して能登市長は「長い期間ご苦労さまでした。ボランティアでの運営は大変な功績です。北時計は観光施設として最高の場所にあります。今後の管理については市独自では決められないので今後は検討委員会を設置して協議していきたい」などと述べ、北時計の再運営に向け前向きな姿勢を示した。



御料地域、開基100周年へ
開拓碑の敷地で記念植樹と、排水溝の手直し作業

 市内御料地域が開拓されてから来年で100周年の記念の年を迎える。2月に記念式典と祝賀会が開かれる予定だが、これに先立ち今月3日の文化の日に、記念植樹が中御料の御料神社跡地に建設された「開拓碑」の敷地内で行われた。
 同地区は大正2年5月19日、奈良県吉野郡中荘村出身の植崎昇二郎翁(団長)を中心に、奈良県から40戸が集団入植し、開拓が始まった。来年で開基100周年を迎えることから、御料地開基100周年記念事業協賛会が設立された。上御料自治会会長の羽山和男さんを協賛会長に選び、準備を進めている。
 その記念事業の一環として同日、協賛会の役員など多数参加して、記念植樹と開拓碑台石のモルタル補修、排水路の掘削などを行った。
 記念植樹では、イチイ1本、イチョウ2本、ヤマモミジ6本の苗木を1本1本丁寧に植えた。また開拓碑は開基50周年に合わせて建立されたもので、すでに半世紀が経過。このためモルタル部分が劣化していることから補修を行った。
 さらに周辺の水はけを良くするため、重機やユンボを使用して改修作業を行うなど、周辺の環境整備を行った。このほか記念誌の発行に向け編集作業も行っている。同協賛会では開基100周年という大きな節目に当たるため万全の態勢で準備を進めている。

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